どうも、イチニノです。発達障害の子供をもつ親の障害を受け入れる難しさについて前回に引き続き書いていこうと思います。成長につれて顕著になる発達障害グレーゾーンと境界知能。それについていけず焦りが募ります。。ではどうぞ。
周りとの差が開き始める
長女も小学生に上がり、保育園ではなんとなく隠れていた発達障害の特性が徐々にわかりやすくなっていきました。一斉指示が通らなかったり、感情をうまく伝えられなかったり、授業中に立ち歩きがみられたり、これらはほんの一例でしかありませんが、日常的ではないものの、様々な特性が見え隠れしているような状態が続き、担任の先生からも連絡をいただくことが増えました。
周りと比べることで得るものはない。そう分かっていても、応答や立ち振る舞い、学習面など多岐に渡って差が開いていっている状況に、もどかしさを感じてしまいます。
さらに悪循環
そうなるとさらに私はナーバスになっていきました。家庭内での生活や学習に関するルールを設定したり、アメとムチのような駆け引きをしてしまったり、確実に必要以上に【できること】を求めてしまっていたと思います。
例えば、お買い物好きな長女に対し、「外出したいならこれしないとダメ!」とか「できるまで買い物なし!」など言えば動くことも分かっているのでよく使ってしまっていましたね。あとは食べこぼしなどの小さなミスについても都度口うるさく注意して、うまくいかないとYoutubeを禁止にしたりとかも。その間、本当にたくさん傷つけてしまったと自覚しています。。傷つけてはその度に謝って、、、DVを繰り返す人の心境とまるで同じような感じですかね。そもそも発達障害グレーゾーンや境界知能だからこそ、うまくできないことがあって当然なのですが、不思議とその考えが欠落しているんですよね。
親のエゴ
それもこれも結局は障害を認められていない、受け入れられていないからなのだと今になればわかります。しかし当時はどうにかこうにか周りのレベルまで引き上げなくてはいけない。【普通】にしなくてはならない。という一心でした。さらに言えば自分なりには発達障害と理解しているから、『よくなるように頑張って支援している。フォローしている。』とも履き違えていましたね。(…しかしよくなるってなんなんでしょうか。)本当に親のエゴとはこのことですよね。
守りたい気持ち
ここまで振り返ってみると相当な毒親ですね。ほんとに反省です。ただそこまでしてしまったのは、どうにかして長女が周りからバカにされないように、いじめられないように、傷つけられてしまわないように、守りたい気持ちが強かったのだと思います。それゆえにできることを多く求めすぎていたように感じます。少しでも特性を隠すことが、発達障害だとバレないことが、守ることにつながると思っていました。
子供自身が自分らしくいられること
今になって思うのは、親である私が考え得る子供にとって良いこと、子供のためになることは、決してそうではないということです。私は自分の経験や知識でしか物事を測ることはできません。ましてやその価値観を押し付けてはいけなかったのだと思います。本来の自分の子供が自分らしくいられることの大事さを見失ってしまっていたのだと思います。
親として何ができるのか
私が今、長女にできることといえば、長女が長女らしく生きていくために、その環境を考え、選択肢を多く準備することです。(愛情云々はもちろんなので端折りますね)そして『子供が大事だ』と囲い込むのではなく、良いも悪いも多くの経験をさせてあげることが必要なのだと思います。発達障害の特性として傷つきやすくマイナス感情を受けやすい一面があることは理解しています。ただそれ無くして生きていくことは難しいです。いつも誰かが助けてくれる、守ってくれるわけではありません。なので私はあえてそのような経験はして良いと考えています。ただそうなった時に必要以上に支えるつもりでいます。逃げてもいい、諦めてもいい、方法はいくらでもあるんだと分かってもらえるように。何度でも前を向けるように。
親のあるべき姿とは
私は常々なんでも受け止められる寛容な親になりたいと努めています。しかし全くそうではない私がここにいます。ブログなどで見かける同じように発達障害を持つ親御さんの理解ある姿に本当に尊敬です。でもそれでいいのではないでしょうか。結局は親は親でしかなく、本人にはなれません。逆にゆうと親も一個人です。理想のために、子供のために、自分という人間を全て律することは不可能な気がしています。
ということで
受け入れることの難しさについて書いてきましたがいかがだったでしょうか。未だに私は発達障害グレーや境界知能を完全には受け入れていないですし、むしろ、『受け入れられていない』ということを認めることがやっとできた段階だと思います。それでも子供が子供らしくいられるように、自立できるように考えていきたいと思っています。受け入れることは最重要ではない、受け入れられなくても認められなくてもできることはきっとあります。同じように受け入れられなくて辛い気持ちになっている人の少しでも共感になれば嬉しいです。ではでは。
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