どうも、イチニノです。小学校に通う長女が発達障害グレーゾーン・境界知能と判定さています。しかし判定されてから、頭で分かっているつもりでも、診断されてもう5年、未だにこの事実を受け入れられていないのだなと感じることもあります。そんな発達障害の子供をもつ親の障害を受け入れる難しさなどを書いていきます。
障害に対する認識
そもそも【障害】というものに対して、どのように捉えているか。私は素直に言えば、大変申し訳ないですが自然に避けていた部分であると思います。家族や友達にも障害を持っている人はいなかったですし、自分には無縁な気すらしていました。なので障害は”ない”に越したことはない。そう思っています。
子供が発達障害だとわかって
長女が初めて発達検査を受けたのは3歳の頃です。きっかけは運動発達が少し遅いのかなと思っており、保育園の定期検診でその旨相談したことに始まります。検査を受けることによって無駄な心配や不安がなくなればいい。きっと専門の方に「大丈夫ですよ」といわれるのだろう。そう期待して検査を受けました。
それが、、期待とは裏腹に結果は発達障害グレーゾーン。運動発達ではなく、知的や情緒の面で発達の指摘をされる事となりました。
当時は私も旦那(=以下、殿)もその結果を全く信じられず、もちろん受け入れることもできませんでした。むしろ発達障害グレーゾーンという結果に対して、『数時間の発達検査で、なにがわかるのか。そんな短い時間で判断つくわけがない。長女のことを理解してもらえるはずがない。』と思っていました。
療育の利用開始
しかしそれ以降、長女は療育に通うことになります。なぜ障害を受け入れられていないのに療育を利用するのか。矛盾しているように感じるかもしれませんが、そこは単純に長女のためになると思ったからです。(お恥ずかしいですが、決して発達障害グレーゾーンを受け入れられたわけではありません。)発達障害があるからというよりも、苦手な部分があるのならそこのフォローアップはしてもらった方がいいですし、フォローするのであれば専門の知識を持った方にお願いするのが一番だとも考えていました。そして最終目的としては療育を通して、この先で『発達障害ではなかった』という証明をしたかったのだと思います。
(自分で言うのもなんですが、動機はどうあれ療育を始めるという方向に柔軟に対応できたことはよかったと思います。何も動けないで、時間を垂れ流しにするのはもったいないです。得られる援助は受けておいた方がいいですし、子供はもちろん親のためにもなると思います。)
誰にも話せなかった、話さなかった発達障害
保育園を卒園するまでの間、療育には通っていましたが、保育園の先生以外の方に発達障害や療育について伝えたり、相談したりするこはありませんでした。殿と意見が食い違った時、また悩んだ時、誰かに相談したい話したい。そう思うことはありましたが、話せないというよりも話さないという気持ちが強く、発達障害について隠したいという気持ちが強かったです。
グレーゾーンの難しいところはそういったところなのかもしれません。【グレーゾーンのグレーは黒に近く、白には遠い】とも言われますが、親心としてはグレーなのだから『いつか発達障害ではなくなって、誰にも気づかれずに、診断がなくなればいい。』そんな風に考えてしまっているのです。
この時期を振り返ると
今思い返してみても、私のしている行動は障害を否定したい気持ちでいっぱいだったのだなと思います。長女に発達障害があることが信じられず、必死に打ち消しているような状態です。家でもお勉強を始めるようにしたり、チャレンジ(通信学習)を始めてみたり、どうにかみんなと同じようになれるように。いわゆる【普通】という枠組みに縛られていました。その為、私は家で生活についても学習についても怒りがちになってしまい、長女を叱りつけることも多々ありました。今となっては逆効果ですし。本当に悪いことをしてしまったなと反省しています。自分が少しでもありのままの、障害を持った長女を受け入れられていればこの時期の過ごし方も変わっていたのに。
それでも状況は変わっていく
そんな中でも長女は長女なりにどんどん成長していきます。そして発達障害グレーゾーンに続いて境界知能の判断もつき、少しずつ特性ははっきりと顕著になっていきます。ただ私も時間が経つにつれ少しずつ発達障害と向き合うことができ、長女のためにできることは何なのか考えるようにもなっていたかと思います。
しかし、人間は難しい生き物、、受け入れられたように見えて、平気に見えて、全然そうではなかったのです。。。
次に続きます。
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